わくら屋

和倉稜の掌編・短編小説

ジョン・スミス(かぐプラ シェアード・ワールド企画 応募作品)

枯木枕さん『となりあう呼吸』シェアード・ワールド企画の応募作です。

最終候補に選んで頂きました。

 

virtualgorillaplus.com

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 崩れゆく身体を機械で保持することで生き永らえる科学者がいた。E.A.ポーを愛読していた。科学者は生来の名を捨て、ジョン・スミスと名乗っていた。

 

「アッシャー邸になるという選択肢もある」

 ある日のことだった。もはや産まれた時の原型をすっかり忘れてしまった私にスミスは告げた。四肢は四のはずだが、私は二本と半分でスミスは七本だった。

「アッシャー邸? よく分からないな。邸になるというのはどういった了見だ?」

 一匹の『黒猫』がスミスの腹の上に飛び乗り、身を丸くした。プルートーと名付けられた『黒猫』は私をじっと見つめた。片眼は初めから存在せずに、なぜかナイフで抉られたような造形をしていた。

「身体を支持できる組織がもう残り僅かだと言うことだよ。邸が嫌ならば君に『ウィリアム・ウィルソン』はいるかい?」

 質問の意図が汲み取れない。私は痛む左腕を擦ろうとしてバランスを崩す。もう一年も前に落ちてしまったというのに未だそこに在るかのように痛みを放つ。ファントムペインは身体の至るところで生じており、私は、私の身体の実在を、現実と幻の境目を、まともに認識出来なくなっていた。

「君にそっくりな人間で、身体は揃っていて美しく、そうだな、踊れるほどの健全な人物がいい。ああ、それに無条件で君に身体の全てを明け渡す心があるとなお良しだ」

 もう世には美しい身体を備えている人物など殆ど残っていない。私は首を横に振る。

「そうか、明け渡す心がないのなら奪うしかない。完全犯罪を成立させる必要がある。『モルグ街の殺人』のように」

 わざと言っているのだろう。私は出来得る限りの言動をもって煩わしさを訴える。

「そもそも、そんな人間がいない。君も知っての通りだよ」

 スミスは満足気に頷く。プルートーはスミスの腹から飛び降りるとフランス窓を長い尾で押し開け外へと出ていった。定期の散歩だ。何のためのプログラムなのかは分からない。プルートーは猫らしく振る舞うことを創造主スミスに強要されている。あと数分もすれば無意味な縄張り争いや繁殖行動に勤しむのだろう。

「そう、いない。いたら二人を練り合わせてしまえばヒト一人に十分な強度を得るはずだ。意識の主導権を握れるかは神でさえ分からないが。でも、いない。だからアッシャー邸になればいい」

 スミスの中で議論が帰結する。スミスの中だけで。私を置き去りにして。

 私はスミスを理解することを諦める。代わりに、スミスの背後に並んでいる書棚の背表紙に視線を這わすことにした。やがて私は一冊の本を取り出して、パラパラと捲った。

「アッシャー邸とは、この『アッシャー家の崩壊』に出てくる邸を指しているんだな。スミス、私には君が冗談を言っているのか本気なのか、何かを暗に示しているのか現実そのものを示しているのか、皆目検討がつかない」

 私は肩を竦めて溜息を吐いた。スミスは蓄えた口髭——人工毛で出来ていて、スミスの出っ張った鼻と薄い上唇の間にびったりと張り付いている——をぴんと指で弾いた。

「もちろん、いつだって大真面目で、君に邸そのものになれば良いと提案している。なんら高次の意図は存在しない。骨の代わりに石を積み、崩れる細胞はセメントで繋ぎ止めればいい」

 耐えられなくなった私は部屋をぐるりと一周した。半分から先が偽物になった左足を引き摺って。このふざけた科学者に拳をぶつければ、私の四肢は残り一本と半分二つになる。

「失礼。私に時間をくれないか? 二十分程でいい」

 スミスはいつだって満足気に頷く。手違いで崩れかけた脳を取り替えたのかもしれない。

 

 二十分を尽くして、私は『アッシャー家の崩壊』を読み終える。顔を上げると、部屋にスミスの姿はなかった。

「スミス! どこにいる?」

 返事はない。耳を澄ます。がちゃがちゃと金属同士がぶつかる音が聞こえた。どすん、ぎぃ。床が軋み、揺れる。どうやら隣の部屋にいるらしい。

「暫くしたら戻る。君があまりに没頭していたから、メンテナンスをね。サボるとすぐに錆びてしまう」

 声帯を取り換えたのかもしれない。まだ馴染んでいないのか、くぐもった声が返ってくる。

 私が『アッシャー家の崩壊』を再び読み終え、プルートーがフランス窓から帰ってきた時、スミスが部屋へ戻ってくる。

「おかえり、プルートー

 擦り寄る隻眼の『黒猫』は生身の猫にでも喉を突かれたのか、びゃあとくぐもった声で鳴いた。スミスとプルートーはとてもよく似ている。

「双子でもドッペルゲンガーでなくともいいんだ。君そっくりのなんらかがあれば。無生物だってよい」

 スミスは私が問う前に知りたいことを答えた。私はこの奇妙な友人に会話の主導権を与えることにし、押し黙った。スミスは私の態度を見て、やはり満足気に頷いた。

「火星にアッシャー邸をそっくりそのまま作るわけじゃない。この地に君だけのアッシャー邸を作ろう。その丸っこい目の形をした窓を二つ。もちろん一つは壊しておこう。屋根に這う蔦は左側を多めにして垂らす。鼻はないから考えなくていいな。開きにくい口を模した玄関は中心線よりやや右に斜めに配置して……」

 ラフスケッチにひどく不安定で今にも崩れそうな邸が描かれていく。今にも崩れそうな私にそっくりだった。

「邸と私を混ぜ合わせることが出来るのか?」

「出来るとも」

 スミスは間髪入れずに答える。

「水と油を混ぜるために石ケンが必要だ。君とアッシャー邸は混ざらない。君のための石ケンを作らなければならない」

「石ケンを作る? それでスミス、君は一体何をしているんだ」

 スミスは右手にコルク抜きに似たT字の器具を握りしめていた。それを左肘にあてがいゆっくりと捻っていく。

「右腕と右足どっちがいい?」

 背中から汗が噴き出る。まともに汗腺がはたらくのは久々のことだった。

 スミスの左前腕の外側半分が外れ、刃が姿を現した。反射する光は鈍く乱雑で、明らかになまくらだった。

「右足にしよう。車椅子を用意する。サイズが合わなくてもよいのなら私の足を一本あげてもいい」

 慌てて手を前に出して、スミスの静止を試みる。

「なんだ、右腕の方がいいのか? 私の手は減らしたくないし、君の食事の世話をしようとは考えていないのだが」

「違う。君はいつも説明が足りない。なぜ私の身体を切り落とすのだ」

 スミスは呆けた表情で立ち尽くし、首を捻る。三本の手を使ってぼりぼりと頭を掻く。プルートーの開けた窓から入り込んだ風にフケの一部が舞って私の袖口に付着する。私は顔をしかめて振り払う。

「石ケンは両親媒性物質、水と油の両方の性質を持つ。二つの物質の境界面に配向することであたかも混ざったように振る舞うのだ。同じだよ。君と邸の中間物質を作る。いいか?」

 プルートーがゴロゴロと喉を鳴らした。何もよくはなかった。何も理解出来なかった。しかし、この崩れ行く身体にも好奇心がひと欠片ほど残っていたらしい。どうせいつかは落ちる足の一本程度なら眼前の変人に差し出してよいと思えた。

「好きに使ってくれ」

 スミスはなまくらを私の右足の付け根に添えると、ぐっと体重をかける。切れるというよりかは圧に耐えきれず潰れながら右足は私の身体から離れていった。神経は弱りきっており、痛みはそれほど感じなかった。

「今日だけは新鮮だ」

 スミスは私の肉の端を千切ると団子状に丸め、プルートーに差し出した。プルートーは団子を嗅ぐとぷいとそっぽを向く。

「私と違ってプルートーは君のことをあまり好いてはいないようだ。まあ明日からは大丈夫だろう」

 スミスは私の足だったものを傍の機械へと放る。次いで私の足の付根の不均一な断面を平たいコテで焼いて潰した。

「せっかくの生肉が余ってしまったな。食べるか?」

「足が生えてくるなら喜んで食べるけどね」

 スミスはにんまりと笑みを浮かべると、温度の下がったコテに私の肉を置き、焼いた。適度に熱が入ったところで摘み上げると、口に含みたっぷりと時間をかけて噛み、飲んだ。

「柔らかすぎて美味いものでは決してないな。まあ捨てるには勿体ない」

 スミスは口の端についた汚れ――私だったものの成れの果て――を親指で拭い取りぺろりと舐めた。

 

 翌日からプルートーは私の肉を食べ続けた。水分を飛ばし細かく切り刻まれた私の肉はプルートーの餌に混ぜられた。

「そもそも、なぜプルートーが食事を摂るのだ?」

「愚かな質問だ。生身の猫も君も食事を摂る。半分機械と化した私も摂る。ならばプルートーも摂る。アッシャー邸になったとしても食事は摂り給えよ」

 プルートーは毎日せっせと私の肉を食べた。私には時間があった。スミスの本棚から『黒猫』を引き抜いて読んだ。

 プルートーの排泄頻度が下がり、体積を増やしていった。無生物のプルートーは私だったものを一心に体内に蓄えていく。『黒猫』を元の位置に差す。プルートーが私とアッシャー邸を繋ぐ石ケンと成るのだ。

 ふいの愛おしさからプルートーの顎の下に手を差し込む。ぼとり。視線を落とすと指が落ちていた。手をプルートーから離す。小指が削れていた。プルートーの爪に肉片が詰まっていた。

「まったくもって嫌われたものだな」

 炙った私の小指をしゃぶりながらスミスは言う。落ちた瞬間の痛みはなかったが、指があったはずの空間に痛みが生じている。まったくもって不思議な感覚だ。

「私の身体はあと一年も持たないかもしれない」

 足を切り離して三ヶ月が経っていた。小指以外も遠くない未来に失われていくだろう。スミスはたった一人で七本の四肢を使い分け、私にそっくりなアッシャー邸のおおよそを造り終えていた。

「明日だ」

 スミスは告げた。

 

 私の口を模した玄関の傍に『落とし穴と振り子』の部屋があった。

「本当は二部屋に分けたかったが仕方がない」

 壁一面が真っ白で窓のない部屋だった。部屋の中央に、足があった頃の私の身長でも直径にわずか足りない程度の穴があった。深い縦穴のようだった。天井から太い金属製のロープが垂れ、穴の中へと落ちていた。

 入口から正面を向いてロープは規則的に左右に揺れている。ぎい。ぎい。ぎい。何か重たいものを揺らしていた。私は車椅子の車輪を穴の淵まで寄せ、中を覗いた。

「落ちてくれるな」

 びくりと背が跳ねる。

「急に声を掛けないでくれ。落ちてしまう」

 振り返ると三本の腕でバランスよくプルートーを抱えるスミスがいた。

「穴の底すれすれを巨大な鎌が揺れているんだ」

 突然、スミスがプルートーを穴に放った。プルートーは「びゃ」っと声を発し落ちていった。唯一の瞳は私を睨んで離さなかった。

 しばらくするとプルートーの断末魔が届き、静寂が訪れる。呆気に取られていると、いつの間にかスミスが私のすぐ傍に立っていた。私も落ちるのだ。車椅子がふわりと浮く。目を閉じる。

 しかしスミスは私を穴から遠ざけ、入り口から最も離れた壁へと押し進めた。

「ここに手を」

 指示された場所には複数の短い棘が壁から突き出していた。指示通りに棘に掌を押し当てる。弛い肉にずぶずぶと棘が侵食してくる。

「やけに嫌っていたとは思ったが」

 棘は肉を吸ったようだった。棘から伸び出たチューブの先でスミスは首を振る。

「失敗したのか?」

「片眼であることが功を奏したのか、アッシャー邸とプルートーの定着は上手くいった。しかし君とプルートーをつなぐ媒介が更に必要になった」

「そんなものは……」

 目を見開いた。スミスが黙って自身の手を見つめていたのだ。

「スミス、君は……」

 なぜ私の肉を食らっていたのか?

「二日後だ。明日、君は部屋から出てはいけない。二日経ったらこの穴に身を投げてくれ」

 私に追求は出来なかった。

 二日後、想定通りスミスの姿はなかった。私はたった一人でアッシャー邸に向かい、穴へ身を投げた。穴の底で切り刻まれた身体がアッシャー邸へと溶け込んでいく。気がつくと、私はアッシャー邸になっていた。

 アッシャー邸は快適だった。蔦を伸ばせる範囲は決まっており自由に動くことは叶わない。しかし身体が崩れることに恐怖を抱く必要もない。食事は雨と陽光と、時折穴に落ちた生き物を溶かすだけでよかった。

 アッシャー邸になったことに後悔はなかった。たった一つを除いて。

 

 意識が薄れゆく。眠る時間だ。

 まさか、意識の主導権をスミスに明け渡すことになるとは思いもよらなかった。私は一日の内、およそ一割しか起きていない。

 共有する記憶によると、スミスは今アッシャー邸に足を生やそうとしている。

(了)