ぶんげいふぁいとくらぶ(BFC3幻の2回戦作)
喜びよりも後悔を強く感じさせる結果だった。
佐倉さんの評は多様な切り口でわたしの未熟さを指摘し、それでいて少しのお褒めの言葉とともに高い点が添えられていた。
佐倉さんとはSNSで交流を初めてまだそれほど経っていない。以前、彼の言葉に惚れ込んでから、どうしてもわたしの文章を読んでもらいたかった。
辛辣さと愛が共存している。噛みしめる様に、何度も何度も読んだ。心地良い苦みだった。第三回にして、初めてぶんげいふぁいとくらぶに参加した。良かった。心から思う。
佐倉さんだけではない。ジョウダンさんのユーモアに溢れた評も、紅明さんの過去作から体系だった評も見事なものだった。ありがたい。一回戦に関わったすべての人々が久方の祭りを楽しんでいる。
混乱した感情を落ち着かせようと、買ったばかりのコーヒーメーカーにポーションとマグカップをセットする。
お湯を吸い上げる振動音に紛れるように、スマートフォンが通知を告げた。ポップアップに表示された名をみて目を見開く。慌ててスマートフォンを握りしめ、ソファへ飛び込む。
『直接メッセージを差し上げるのは初めてですね。二回戦進出おめでとう。どうしても伝えたくて』
彼は忙しい。時間を割いてダイレクトメッセージを寄越したのだ。返信に熱が入る。
『ご評価いただきありがとうございます。佐倉さんからの叱咤激励、身にしみています。評でのご指摘の視点についてですが――』
つらつらと書いたメッセージを眺める。言い訳めいて長い。ため息を吐く。感謝の言葉だけを残して送る。時間を置かずに返事があった。
『栗人さんと違って、僕は一回戦で敗退した。次からはいち読者として大会を楽しむつもりだ』
ジャッジと呼ばれる選者もまた作者から評価され、次戦への進退が決まる。初めてルールを読んだ際は驚いた。作者も選者も互いに評され晒される。この文芸を起点とした殴り合い、まさにファイトクラブの様相こそが最大の魅力だと言える。
公式の場以外でも、場外乱闘と呼ぶ応酬がSNS上で繰り広げられていた。勝手がわからず、怯え、外から眺めている。二回戦に挑む者として参戦したほうが良いのだろうか? わたしは作者側に近い読み方をしていて、フォローすべきだという気持ちに駆られていた。
『放っておいて大丈夫。前回も似たようなことがあったから。それよりも栗人さんは自分の事を考えて。他のジャッジの評を読み込んで自分には何が足りないのか把握しておいた方がいい』
両頬を張る。じんとした痛みが顔いっぱいに広がる。わたしは未熟なのだ。佐倉さんはわたしをそう評したではないか。何度も見返したではないか。
『すみません。いや、ありがとうございます。二回戦開始まであまり時間がないですもんね。ジャッジ全員の評、読みます。決勝にいきたいんで』
初参加で青いわたしを佐倉さんはどう受け取っているだろうか。笑うだろうか、呆れてるだろうか。出来ればこの短いやり取りだけで失望しないで欲しいと願う。
彼は前回のぶんげいふぁいとくらぶにファイターとして参加していた。耽美な文章に目を奪われている間に、構成の妙な迷路に迷い込む。何を読まされたのか分からない。でもいつまでも忘れない。惚れ込んだ。わたしが小説を読むときの傍らにはいつも佐倉さんの作品が浮かぶ。
『頑張ります』
連続したメッセージを催促と思われたかも、と後悔した。既読はつかない。彼は忙しい。わたしは? 不甲斐なさに後悔してばかりだ。
冷めたコーヒーを片手にコンピュータを起動させる。ぶんげいふぁいとくらぶのファイターとジャッジのコメントは明日の通勤の往復で読む。書ける時間は書くことに費やそう。数少ない公募が二つ、偶然にも近い締切であった。両方出そう。
参考文献となる専門書や小説の山を切り崩しながら、一度読んだ時に貼った付箋を頼りに文章を綴る。取りこぼす事がないように焦らず書こう。
先達らが積み上げてきた表現や技法の数々、新しい小説が狙うべき領域。新しい海は広大で羅針盤がいる。佐倉さんの作品こそが相応しい。書く、書く、書く……。
頬を押し返す柔らかな痛みに目を覚ます。机に突っ伏していた。デスクライトは記憶のないうちに消している。冬は近くに迫ってきて、ブランケットではもう肌寒い。暗闇に、通知を告げる緑色の光が強弱を繰り返し点っていた。佐倉さんだ。
『
スマートフォンを胸元に引き寄せる。姿勢を正し、佐倉さんがいる東京方面に向けてお辞儀をする。
ジャッジのジャッジ、佐倉さんはわたしのジャッジ評に関して多くの文を費やし評価くださった。
一回戦で惜敗したとはいえ、彼の実験的な小説に感銘を受けた読者や識者は多いだろう。きっとこれから注目される。いや、させる。
機はすぐに訪れる。評するのは書評家として立つ私でありたい。
(了)