わくら屋

和倉稜の小説

神鳴島とナツとフユ(島アンソロジー参加作品)

 死んだ夜の記憶はおぼろげだった。雷を受けて虹色を帯びる貝の映像が浮かぶ。手を伸ばす。ぷつりと記憶は途切れる。

 ナツは幽霊になっていた。虹色の貝に願うことは叶わなかったらしい。ナツを幽霊にしたのはフユの願いではないだろうか?

 

「おはよう、ナツ」

 パンプキンパイの香ばしい匂いが部屋を満たす。母の焼くパイが好きだった。フユはパイを四等分に切り分けると、ひと皿を寄せてレーズンを発掘する作業に没頭する。

 父はパイをふた口で平らげる。母はナイフで細かくしてから口に運ぶ。フユはぼろぼろになった発掘現場を摘まんでは口に放っている。皿にはレーズンのボタ山が残る。ナツの前のパイは減らない。

「ナツの分はもう片付けていいかな?」

 母は返事を待たずにパイを片付ける。神鳴島の神様の気まぐれかナツには嗅覚がある。嗅覚ひとつ加わるだけで世界はぐっと濃さを増す。生への未練を引き起こすに十分な刺激だった。

 再び虹色の貝に願ったら、生き返ることができるだろうか? 紅茶の香りが漂う。頭を振る。ナツという人物は存在しない。

「ナツ、今日はどこに行こうか?」

 双子の片割れは、ナツが生きているかのように振る舞う。ナツの死を超えて元気な妹は誇らしい。両親はフユの態度を諫めない。彼らの中にナツは居ない。

 木窓の外には曇り空が広がっている。死んでから三度目の神鳴祭がやってくる。三年が幼い子供にとってどれほどの変化を感じさせるか、身体を持たないナツには分からない。ただフユは石段をひとつ飛ばしで登ることができる様になったし、胸には貝殻の首飾りを付ける様になった。

「神鳴祭の準備をしたいから早く帰ってくるんだよ」

 父の声を背にフユは勢いよく扉を開け放ち、飛び出す。砂埃が舞う。フユは島の頂上へと繋がる石畳の道を歌いながら上っていく。

 

  虹色の貝を探しましょう。神様たちの贈り物。

  虹色の貝を見つけましょう。雷が落ちたその先に。

  貝楼諸島の神様たちは、神鳴島にやってくる。

  貝楼諸島の神様たちは、力を込めて雷落とす。

  虹色の貝を抱きしめて、そっと願いを込めてみる。

 

 風が強く吹いているらしい。斜面にはレモンの木が並ぶ。緑は揺れ、吹き上げられた清涼感のある香りが山頂まで届く。肌で感じられたらどんなにうっとうしい風だろうか。フユの髪は風に舞い、レモンの香りに洗われる。

 海に百近い島が浮かぶ。神鳴島は貝楼諸島のほぼ中心に位置し、東西南北どの方角を見ても似通った風景が切り取られる。

 島の間を縫い、多くの船が神鳴島へ向かってきている。神鳴祭の間、海は荒れる。今日までに島に着かねばならない。

「島ごとに神様が居るんだよ」

 神鳴島に越して、今と同じ様に海と島を眺めながら父が告げた。本土から小型船に揺られて一週間、酷く船酔いした父が数日寝込んだ後のことだった。父はナツにたびたび質問をした。父は学者でヒトの脳の研究をしている。

「ナツ、知ってるか? ヒトの意識は電気に宿るらしい。脳は電気を蓄えてるんだ」

 問いは父が立てた仮説で、ナツが答えを知る由もなかった。神鳴島に雷を浴びに来たという冗談かそうでないかも分からないことを言うへんてこな学者と家族を、島民は温かく迎え入れた。

 神鳴島には雷が多い。貝楼諸島はそれぞれ特殊な電磁場を持ち、隣の島ですら環境が大きく異なる。

 眼を細め、はるか北を眺める。神鳴島が北の島々にあった雲を根こそぎ引き付けたかのような快晴で、大地を太陽が焼いている。島ごとの寒暖差が大きいせいもあって、貝楼諸島ではしばしば蜃気楼が現れる。

 現代科学で説明できないことが多いらしく、島のひとつのひとつに神様がいる、という逸話は古くから語り継がれ、愛されている。

「明日から神鳴祭か」

「今年こそ虹色の貝、見つけるね」

 ぼそりと呟くナツに呼応するようにフユは言葉を重ねた。見ると首飾りを握りしめている。フユは、ナツを失ってから虹色の貝を探し続けている。

 年に一度、神鳴島には三日間絶えず雷が鳴る時期がある。

 貝楼諸島の神様たちが神鳴島に集まり騒ぎ、雷を落とす。島民は神の集まりを祝して祭りを開く。神在島が元来の名前らしい。

 レモンの匂いが消える。降り始めた雨のせいだった。

「ナツ、帰ろう」

 神様たちは雲に乗ってやってくる。黒く染まった雲を頼もしく、憎らしく思う。フユはナツを忘れてはくれない。

 

 父に連れられ、ナツとフユは島の一角にある草原にしばしば足を運んだ。草の絨毯では時折、剥き出しの土が顔を見せた。地中には粒の大きな砂が混ざっていた。

 父は土を掘り返すと、大小様々な石をナツの前に転がした。

「ここには雷が落ちるんだ」

 フユが地面を撫でた。他に高い場所はあるにも関わらず、多くの雷が草原に落ちた。父は掘り出した数十の石を機械で測定し、メモすることを繰り返した。石は光を通し輝いていた。

「土には多くの電気石が含まれる。帯電する草原なんだ」

 父が測っていたのは蓄電容量や通電率というらしい。測定した数字とその場所にいる昆虫や小動物の行動には関係性があると教えてくれた。『電気に意志が宿る』と名付けられた論文は、発表されるや大きな話題を呼んだ。ほとんどは嘲笑だった。

「お父さんの話、フユは本当だと思うな。草原の虫はいつも同じ動きだし」

 父はからからと笑い、フユの頭に右手を置く。

 本土の学者たちは、本土の昆虫や小動物を父と同様に調べたが、論文に書かれたようなことは起こらなかったらしい。

「神鳴島で実験すればいいのに」

 父はナツの頭に左手を置く。フユと違いくしゃくしゃに撫でた。

「うん。島の特殊な環境は少なからず関係しているよ」

 学会から半ば追放されたけれども父は毎日楽しそうに草原に出かけ、母は笑っていた。

 隣家の畑で母とちぎるナスやトウモロコシは美味しかった。まだ緑のレモンも神鳴祭のあたりには黄に染まる。祭が過ぎた頃には自分たちの畑も持てる。良い島だった。

 

 濡れた石畳をフユは滑らないように慎重に下っていく。以前は濡れることが嫌だった。今は濡れない身体を寂しく思う。

 初めての神鳴祭、ナツは草原で死んだ。両手を見やる。今のフユよりも随分と小さな手、幽霊の身体は成長せず、心は成長するらしい。父に知ってるかと問うてやりたい。

 三年前、港には姿も形もバラバラな船たちが停泊し、打ち寄せる波に船体を上下させていた。雷雲に遮られた日光の代わりに、島民たちは色とりどりの装飾を店先や家に施した。

 傘は使ってはならず、みな雨に濡れ、笑う。全ての店内は透明なシートで囲まれていた。まるで海月に乗り込み、雨の海を泳いでいるようだった。祭りを盛り上げる音楽は、不規則に鳴る音と視界を奪う閃光だった。みんな高揚していた。

 子供らの小遣いは限られていたが、大人にはお金を取る意志はなかった。肉料理屋の店主はナツとフユを呼び寄せると、二人の手のひらに羊肉の細切れを落とした。急いで頬張ろうとしたナツを静止させると、肉の上にレモンチェッロを一滴垂らす。ナツとフユは眼を見開いた。苦みと甘みは羊肉を一層引き立てる。

「美味い」

 慌てて互いの口を塞ぐ。父と母はテーブルで思い出話に夢中だった。ほっと胸を撫で下ろす。お酒を含む背徳感と祭りの高揚感は相性が良かった。

 雑貨屋に入った。カウンター横で硝子細工を真剣に見つめる太った男性客が居た。買い付けに来た商人かも知れない。きっと遠くの国から来たのか、まだ商売を始めて間もないのだろう。店主がにんまり笑うので、硝子細工が既に本土に多く渡っていることは秘密にしておいた。

 フユはスカーフ売り場に居た。貝がモチーフの幾何学模様が入ったスカーフを手に取っていた。フユが身につけるには大きいスカーフを彼女は母の首にそっと巻いた。母は大げさに両手を上げると、フユをきつく抱きしめる。父のもの言いたげな視線を無視する。

 ようやく買えたアンキロサウルスの人形を胸に抱く。

「わたしも恐竜欲しい」

 フユは肩を落とす。胸の人形を貸すことにはためらいが生じた。しかし優しい妹に何かしてあげたかった。ふと思いつく。

「フユ、いい提案がある。好きなプレシオサウルスが手に入るかもしれない」

 囁き声のナツに怪訝な表情を浮かべ、フユは首を傾げる。

「虹色の貝を探すんだ。いつも歌ってるだろう」

 フユの表情がみるみる晴れる。両親の様子を窺いながらそろりと足を忍ばせる。出入り口に差し掛かったところで、父の声が二人の背中に降りかかる。

「ナツ、フユ。どこに行くつもりだ?」

 ナツはきょろきょろと視線を泳がせる。

「ちょっと探検に」

「駄目だ。外は危ないから父さんたちと一緒にいなさい」

 フユがナツの前に出る。

「父さんはたまにはお母さんとデートしてあげなよ。いつも石と虫ばかりでしょう? ナツはわたしがみてあげるから」

 父は頭を掻いた。母の顔をちらりと窺うと、口を一文字に結び唸る。母は笑っていた。

「これから伝える三か所には近寄っては駄目だ。海のそば、山頂、最後に草原だ。いいね」

 フユはナツの戸惑う顔を背中で隠し、力強く頷いた。二人は両親が心変わりしない内にと急いで雑貨屋から飛び出した。店に入ろうとした女性が小さく悲鳴をあげる。

「ごめんなさい」

 叫ぶナツの横でフユは無言で頭を下げた。二人で笑い合い進む。虹色の貝があるかどうかよりも、初めての神鳴祭をフユと自由に動き回ることが楽しかった。

 

 朝からフユは島を巡っている。父と母は三年前から神鳴祭の日は二人で過ごすことにしている。フユが単独行動することを否定しない。島に慣れ、島民の誰かしらの眼があることも理由のひとつなのだろう。

 肉料理屋で羊肉を食べる。雑貨屋で母へスカーフを買う。雑貨屋を出てすぐの店でレモンジュースを買う。つんとした匂いはレモンを使った的当て屋で、三年前と同じように全て的から外す。タコのカルパッチョイカ墨のパスタは半分だけ食べる。三年前はナツが残りを食べた。

 フユは去年と一昨年は闇雲に島を駆けまわった。虹色の貝は見つからなかった。今年は、ナツと巡った場所を順番通りに時間通りに歩く。フユがどこかに寄る度にひとつの雷が鳴り、重ねる度に音を大きくしていった。

 草原に着く。ナツが死んだ場所。今年のフユの最終目的地。三年前と同じ探検はナツの頭に掛かる靄を少しずつ減らしていった。なぜナツは死んだのだろうか?

 当然のような顔をして虹色の貝は草原の中心で鈍く輝いていた。

「ナツ」

 フユは呟く。

「ナツ、ナツ」

 歩幅は徐々に大きくなる。跳ね上げた泥がナツの眼前に迫る。咄嗟に眼を閉じる。頭に電気が流れた気がした。

――神様、フユを元に戻してください。

 ナツは死んだ。しかし先にフユが死んでいた。肌表面に筋状の火傷を残し息絶えた。貝に触れるより前に、雷がフユに落ちた。

 フユが触れることは無かった虹色の貝、雷が蓄えられたその貝を胸に抱くとナツは死んだ。神様の声を聞いた気がした。薄れゆく意識の中で懸命に祈った。

 時はフユが雷に打たれる直前に巻き戻る。唯一異なる点は、ナツはその場に居なかった。帳尻合わせか、人々の記憶の一切からナツは消えていた。父と母を悩ませずに済んだ。神様の計らいには感謝している。

「どうしてみんなナツを覚えてないの? 私の双子のお兄ちゃん」

 片割れにはまじないは効かなかったらしい。人々は妄想に囚われた可憐な少女のままごとに今なお付き合っている。

「ナツ、虹色の貝、あったよ」

「駄目だ」

 フユは手を伸ばす。ナツは腕を掴もうするがすり抜ける。貝に触れると生きた人間は死ぬ。

「駄目だ」

 ナツは力の限り叫んだ。届かない声を届けるために。

「フユ!」

 フユがぴたりと動きを止める。振り返った弾みで首飾りが切れる。貝殻の首飾りは――ナツが三年前に触れた虹色の貝の欠片は――フユの手よりも先に新たな虹色の貝の上に落ちる。雷が、二つの貝に落ちた。

――知ってるか? 人の意識は電気に宿るらしい。

 幽霊じゃなくて帯電する貝に閉じ込められているとは思いもしなかった。神様たちは陽気で自由だった。意識だけのナツの願いを聞き入れてくれた。

 

 眼に映るフユは小さい。握る手もナツと同じ大きさだった。手を引き、今いた場所を離れる。雷が落ちる。

「ただいま、フユ。父さんに電気には意識が宿るし、時を戻す力があるって伝えないと」

 フユは、首を傾げた。

 

(了)